消費と投資は同じ部分と異なる部分があります。
同じ部分はともにお金を使うこと。異なる部分は、消費は使った以上のお金を失うことはなくて、投資は使った以上のお金を失うことがありえることです。往々にしてレバレッジを掛けて投資効率を高めるのでこのリスクが生まれています。
なぜか、お金を使う類似性に着目しすぎる傾向があるように思います。お金を使ったんだからリターンを得る立場にあるのは消費の場合であって、投資の場合はなんら約束されていないでしょう。
それはわかっていても、投資したのだから(とうかお金を使ったのだから)お金がもどってくる立場を手に入れたかのような錯覚が若干でも生じているような気がするのです。まったくの錯覚であると私は思います。
例えば株を買ったあとその会社が倒産したとします。株券の価値の分だけはお金は戻りますが差引ゼロなら戻りません。差引プラスならばお金を分配してもらう権利をもっているにすぎません。当然ふつう容易にはゼロにはならないのでしょうが、株主としてはあくまでそうした仕組みが作動している上にいるにすぎません。
不動産の場合も本質的には同じです。お金を払ったから家賃を手に入れるのではありません。そうなる仕組みを買ったからだけであって、その仕組みもちゃんと作動する保証はありません。投資家としてそうなりにくいと期待しているにすぎないです。
この錯覚部分は非常にやっかいなものに見えます。そうでないと思っていてもあるように思えます。
宝くじなどはひょっとするとこの錯覚が多幸感を多少なりとも増してくれるのを利用した存在なのではないかと思います。3000円買って300円だけなら2700円の損失です。しかしこの額、ドライに損失と認識できるでしょうか。その間夢を買っていたという理解をしますが、外したなら損失は損失です。そもそも2700円の夢代と思って買ったのではありません。後から都合よく解釈し直しているとしても少額なので深刻ではありません。
人間は感覚に基づいて行動するものです。しかしだからと言って感情まかせの行き当たりばったりでの投資は危険です。人間の傾向を理解することで、消費するように投資する行動を俯瞰してそれを回避するように仕向けることでリスクを抑えることができると思います。